説明
もともと団子新居にあった光照寺は、永正7年(1510)に武田信虎によって岩森村坊沢に移されてたいへん栄えたといわれます。しかし武田氏滅亡の際、織田軍に火をかけられ、焼失を逃れた薬師堂だけが江戸時代初めに現在地に移されました。室町時代後期の建築様式が特徴的な重厚感のある建造物です。
施設情報(1)
もともと団子新居にあった光照寺は、永正7年(1510)に武田信虎によって岩森村坊沢に移されてたいへん栄えたといわれます。しかし武田氏滅亡の際、織田軍に火をかけられ、焼失を逃れた薬師堂だけが江戸時代初めに現在地に移されました。
室町時代後期の建築様式が特徴的な重厚感のある建造物です。